中津市議会 2022-06-15 06月15日-04号
また、東日本大震災のときの釜石の奇跡ということが記憶にあると思います。岩手県釜石市では津波で1,000人以上の方が死亡、あるいは行方不明の方がありました。ところがその中で市内の小中学生3,000人はほぼ全員が無事だったということです。これは市や教育委員会の指導により、各学校が徹底して避難訓練に取組んでいた結果、下校前後の子どもたちは訓練どおりに高台に逃げ、難を逃れたということだそうです。
また、東日本大震災のときの釜石の奇跡ということが記憶にあると思います。岩手県釜石市では津波で1,000人以上の方が死亡、あるいは行方不明の方がありました。ところがその中で市内の小中学生3,000人はほぼ全員が無事だったということです。これは市や教育委員会の指導により、各学校が徹底して避難訓練に取組んでいた結果、下校前後の子どもたちは訓練どおりに高台に逃げ、難を逃れたということだそうです。
今、この議場で東日本大震災の犠牲者をしのび、黙とうをささげましたが、思えば11年前の3月25日、私は下郷農協と中津商工会議所ロータリークラブの皆さんの支援物資を届けるために、岩手県釜石市大槌町の現場にいました。
そして、この2年間、やっぱり新型コロナの影響で訓練らしい訓練というのは地域でもできてないところも多いと思うんですけど、やはり釜石の奇跡、やっぱりあれは日頃の訓練が生きた行動だと思います。その部分では、自主防災組織や防災士会の活動が非常に大きいと思うんですが、今後の何か活動について検討していることがあれば、伺いたいと思うんですけど。 ○議長(髙野幹也議員) 二橋総務課参事。
そうです、釜石の奇跡です。子供たちが単に運がよかったのではなく、日頃から行われていた防災教育を受けた子供たちが、ふだんから行っている行動を当たり前に実践した結果が起こしたものであると認識しています。 子供たちは、次の避難3原則を徹底して身につけたそうです。1、想定にとらわれない、2、状況下において最善を尽くす、3、率先避難者になる。
一方で、海からの距離は同じく約500メートルの場所に位置していたにもかかわらず、約570名の児童生徒全員が地震発生と同時に迅速に避難して無事だった、岩手県釜石市立釜石東中学校と鵜住居小学校は、防災教育と危機管理のモデルとして高い評価を得ています。
一方で、海からの距離は同じく約500メートルの場所に位置していたにもかかわらず、約570名の児童生徒全員が地震発生と同時に迅速に避難して無事だった、岩手県釜石市立釜石東中学校と鵜住居小学校は、防災教育と危機管理のモデルとして高い評価を得ています。
その時の教育長の会議で、釜石市の河東教育長という方がおられましたが、その方がこう発言されました。平成22年の話です。「近い将来、必ず自分の地域に地震が起き、津波に襲われる。それがいつなのか、いつの期日なのか、それが何時なのか、その時、子どもたちはどこにいるのか、どう対応すべきなのか。頭の中はそれでいっぱいです」という発言をなされました。
ちなみに、平成23年の東日本大震災のときには、岩手県釜石市において災害派遣による救助活動も行っています。以上です。 ○議長(山影智一) 本田議員。 ◆9番(本田哲也) 出動回数の多いのにびっくりしました。1台で足りるのかなと思いました。 次に、議第61号で水槽付消防ポンプ自動車Ⅱ型という、先ほどと同様の質問なのですけれど、重なるところは省略してお答えください。
◎6番(三上英範) 私も、実は議員になる前に、2011年3月に、私、岩手県の釜石市に支援に行った経験があります。まだ本当にすえたようなにおいのするような、死体の現場を目の当たりにしてきて、そして、いわば九州北部豪雨災害なのですけれども、そういう中で今ずっと、それからさっきも話に出た金吉地区の災害、ああいうものを契機にして、何とか事前に、それができないだろうかという思いをしています。
1番目が陸前高田市、2番目釜石市、3番目気仙沼市、石巻市、東松島市、6番目に北海道がありまして、7番目竹田市、次、大船渡市、次、宮城県名取市、ほとんど東日本大震災の時に役場やら学校やら、そういうのが全部流されて、これをやむを得ず造ってきた経緯があるんじゃないかと思うんですよね。すべてが揃ったとは言いませんけれども、かなりできてきたんだなと。
平成31年第1回市議会定例会において、知念議員の御質問に、釜石港のような湾口防波堤の建設には莫大な費用がかかることから相当難しいと思いますが、国や県と相談してみたいと答弁させていただいたところです。 国に確認したところ、湾口防波堤は全国に4港しかなく、過去に何度も津波被害に見舞われていることから、三陸地方沿岸で津波被害に対処するため、国の直轄事業で湾口防波堤の建設を行っているとのことでした。
一方、東日本大震災のときの岩手県釜石市立釜石小学校の児童たちは、大きな津波が町を襲ったにもかかわらず、子供たち全員が直ちに高台へ逃げて、1人の犠牲者も出しておりません。 これは何によるのか。それは、当時、群馬大学工学部の片田教授が行っていた教育であります。詳しいことは今回省略いたしますが、とにかく逃げる、これを徹底して子供たちに教育していたのであります。
一方、東日本大震災のときの岩手県釜石市立釜石小学校の児童たちは、大きな津波が町を襲ったにもかかわらず、子供たち全員が直ちに高台へ逃げて、1人の犠牲者も出しておりません。 これは何によるのか。それは、当時、群馬大学工学部の片田教授が行っていた教育であります。詳しいことは今回省略いたしますが、とにかく逃げる、これを徹底して子供たちに教育していたのであります。
中でも津久見市と形状が似た被災地で設置されていた湾口防波堤に対して、津波に破壊され、その評価値が下がっておりましたが、専門家などの検証などで有効性が確認され、国土交通省も認めるに至り、大船渡湾や釜石湾では新たな工夫を凝らした一回り大きな防波堤がつくられたことがわかっています。国土交通省の見解でも20%から25%の津波被害を削減できるとの見解です。 改めて問いたいと思います。
東北地方太平洋沖地震発生以降、岩手県釜石市の小中学生がほぼ全員、津波の難を逃れた釜石の奇跡を例として、自助・共助・公助の重要性、必要性が、被害を最小限に終える手法として取り上げられています。自助で乗り切ることのできない、公助ではカバーし切れない、意識が高まること、また、共通認識を持つことなどが共助では可能となります。
それから、日曜日の新聞だったと思うんですけれども、釜石市では、2011年以降の震災公文書は全て永久保存するように規定している、あるいは、当時の手控えメモや日誌、ボランティア名簿などが廃棄されていて問題となっているというような記事がありました。
釜石では、片田教授の指導のもと、学校での津波防災訓練に取り組んできました。その結果、生徒のほとんどが避難することができました。 避難をするということは、とてもシンプルで簡単な対策ですが、とても勇気のいる決断です。その決断によって、自分の命も周りの命も救うことがあります。自然災害は、人の力ではどうすることもできません。それに打ち勝つような手段は、今のところありません。
当日は、800名を超える市民の参加があり、「釜石の奇跡」を生んだ片田敏孝氏による講演を聴講いただきました。「貴重な実例を聞けてよかった」、「防災に対する考え方が変わった」など、多くの参加者の声を耳にし、防災に対する理解が深まったのではないかと思っております。
自助、共助の連携を深めるとともに、子供たちを含めた参加者に、想定にとらわれない、最善を尽くす、率先して避難するとした釜石の奇跡から学ぶ避難3原則を基本とする防災教育を徹底することで、地域住民の防災意識のさらなる高揚が図られたものと考えています。 次に、3月28日、南津留地区の拠点施設となる南津留地区コミュニティセンターが完成し、開所式が行われました。
言いにくいことではありますが、東日本大震災の際、大川小学校で起こったこと、釜石東中学校、鵜住居小学校で起こったことを比較すれば、今申し上げたことが全ての教職員の胸に響くはずです。